皿倉山周辺のあちこちには、竹林が一つの集団を形成して生い茂っています。針葉樹や広葉樹の林の中に無理矢理に侵出した竹林では、たいへんな迷惑を被っています。
これだけでは何の不思議さも浮かんでこないのですが、少しだけ探求心を起こしていただければ、そこにはいろんな疑問点が浮かび上がってくるはずです。そのいくつかを書き出してみました。
1) スギ林やヒノキ林は人工的に植林したのですが、竹林は人工的なのですか..?
2) 竹は分類上、草ですか、木ですか。
3) 筍は毎年生えてくるのですか、どうしてあんなに成長が早いのですか。
4) 竹林は常緑のように見えますが、いつ落葉するのですか、...などです。
竹って本当に不思議な植物です。今回は皿倉山一帯の竹にまつわる不思議なことがらを探ってみたいと思います。それと「かぐや姫」の姓名も興味がありますよね。
1.竹林の最初は人工的に造成したのか・・? #
スギ林やヒノキ林は人工林であることは確かですが、竹林は人工的であるかどうかを確かめようがありません。ですが、自然的に増えてきたのではないかと推察できます。
竹の繁殖は根茎の広がりにありますが、もう一つは種子からの繁殖です。竹の花は60~90年サイクルで咲くと云われていますが・?。従って、竹の花を見た人は少ないのです。
昔から竹の花が咲いた年は、野ネズミが繁殖すると云われてきました。エサが豊富であれば子孫が増えるのは当然のことです。せっせと運んだ種子の食べ残しが発芽か・?
ここらあたりに竹林形成の謂われがありそうです。
2.竹の栽培の歴史・・マタケ、ハチクは国産種→かぐや姫誕生の竹では・? #
日本では、竹の字の語源として「竹の葉の形からきている」とか、「高きを意味する」とか、『万葉集』にある「太気」、『和名抄』の「多計」などの語源説があります。
植物分類学的には、竹はササを含めて「禾本かほん科」または「イネ科」の中に組入れられていた。近年は「タケ科」にしたほうがよいとの意見が多いと聞いています。
ミキに対する字は、木では幹・竹では桿(かん)・英語では前者を「Stem」、後者を「Culm」 と区別しています。竹の歴史について次の記録が残っています。
桓武天皇は794年に和気清麿に命じて、仁寿殿の前に呉竹(ハチク)を植えさせた。
武田信玄は1542年に山梨県・釜無川の信玄堤に・・
柳川藩は1592年に矢部川の沿岸に・・
徳川家綱は1669年に京都の河川堤防に・・
それぞれ人工的に竹を植栽しています。
モウソウは中国から1736年と1670年に渡来したとする二説があります。マタケ(真竹、苫竹)・ハチク(淡竹、甘竹、呉竹)は、昔から日本に生えていたという説が有力です。
3.竹と木との違いは。 #
ア、草の中で竹に近いとされるイネとの対比
1) イネと竹とは、花の形態や桿に中空や桿鞘があることは似ているが、2) 竹は常緑性の多年生で、3) 組織は木質、花はめったに咲かない、4) 地下茎がのびて増えていく、5) 葉には葉柄があり葉鞘につながる、イネには葉柄はない、6) 竹類の葉には肩毛がある、7) ササでは葉片が落ちて葉柄が残ること、・・などがイネとは異なる点です。
イ、木と違う点は
1)維管束の中に新しい細胞をつくっていく働きのある形成層がないので毎年成長しない。
2)地下茎の芽によって毎年、無性的に筍(若竹)が出て繁殖する。花はめったに咲かない。
3)桿は中空で、若いときは竹の皮で被われている。・・など
ウ、竹の寿命は
1)竹は桿の大きいものほど長く、マダケ類では最高20年ぐらい。地下茎は10年あまりで枯死。
2)いかにも短命のようであるが、新たに地下茎 が伸びて若竹が生えて、無性的に生命が続く 。いわば手をつないだ家族として寿命は永久である。
4.竹の生長スピード・・かぐや姫は3ヶ月で成人 #
タケノコはわずか数ヶ月で親になってしまい、あとは大きくならない。伸び盛りは一日に1m20㎝も伸びる。こんなに早く成長する植物はほかにないのです。
「筍」の漢字は一旬(10日間)にして竹になる意であるという。少しオーバーだけど、タケノコの成長の早さを言い表した意義のある漢字だと思います
★タケノコの急成長のなぞ・・?
1)生長促進物質=ホルモン「ジベレリン・カイネチン」が含まれていて、促進 に役立つ。
2)早い成長の利点として、節間ごとに生長帯があることと中空であること。
3)節の数は桿の太い竹では70以上あるので力強いものとなる。
4)タケノコの特有の成分として、生長促進に関連する「チロシン」がある。
5)竹らしく成長するにつれて、細胞を丈夫にするためにリグニンが必要となる。原料となるのがチロシンである。生長を仕上げるためにチロシン+リグニンは欠かせない物質。タケノコの缶詰の白濁は、主としてチロシン成分である。
5.竹が2年目以降太らないわけ #
竹の維管束に形成層がないために連年の生長ができないのです。形成層は樹木な
どの双子葉植物にはあります。
1)タンパク質に満ちた形成層・細胞は、外部に師部を、内部に木部をつくり太っていく。
2)毎年冬季には生長が衰えるので、年輪ができる。
3)維管束には道管(木質部)と師管(師部)があって、根から無機養分や水分を吸い上げるときには道管を通り、葉にいたり光合成を助ける。葉でつくられた有機養分が降りるときには師管をとおる。たいてい一方通行である。
6.竹の紅葉期と葉変わり #
竹は常緑性ですが落葉もします。ふつう植物は秋に落葉しますが、竹には秋季には青々と葉をつけています。時期はずれの春さきになってから紅葉・落葉するものが多いのです。
竹の葉は出てからわずか一年ぐらいで葉変わりし、若葉に取り替えられます。ときならぬ春さきの紅葉を「竹の秋」とよび、詩歌の季語となっています。
1) 緑葉は無機化合物から炭水化物など植物の生育に必要な有機養分をつく るのに欠かせない 工場といえる。故に緑葉が多いほど養分も多くつくられ、竹も例外ではない。
2) 葉の数量は5年生頃までは増えていくが、6~7年生以上は老齢となり、 葉変わりごとに葉の数が減り歯抜けの状態となって同化作用の働きを鈍くする。
7.なぜ、春先に葉変わりするのか・・? #
1) 春先に筍をたくさん生み出すためには、秋から冬にかけて直ぐ役立つ有機 養分を地下茎に貯えなけれ ばならない。秋季に紅葉・落葉して冬眠するわけにはいかない。
2) 筍が生えた後は、続いて古葉を落として同化作用の盛んな若葉と取り替えにかかるのです。竹の衣替えの早わざは、うっかりすると見逃してしまいます。
3) 能率を高めるために、きめ細かな工夫が取り入れられていて。例えば、一度に全ての竹が葉変わりしないように、一部は春から秋にかけて若葉に変えていく。
4) また、一本の竹のうち、全ての葉が一度に変わるのではなく、桿の上方の葉から下方へとしだいに変わっていく、生活のチエを備え持っています。
8.竹と笹の区別・・植物学的な目安として #
1) 竹の皮の落ち方で見分ける方法・桿の生長 の仕上がるにつれて落ちるのが竹、永くつ いてるのがササ。
2) 桿の節毎の枝の数による見分け方・枝の本 数が一本のものは小さくてササ、二本のも のはたいてい大きくて竹ですね。
3) ササの仲間は竹と違い、葉変わりの用意周到さがうかがわれる。 一本の小枝に10枚前後の葉がついているが、この内いちばん下 方の葉が落 ると上方に一枚出し、大半の葉を常に保ちながら一 枚ずつ若葉に取り替 える。松の葉変わりに似ています。
4) 竹とササはともに生長や繁殖のうえで基本的な特性に変わりはない。
5) 竹はまっすぐに伸びて弾力に富み、地下茎の繁殖力と長命と筍にみられる子孫繁栄は他の植物には見られない特技です。
9.かぐや姫・・の出番です。 #
竹に関する諸々の課題の後、やっと「かぐや姫」の出番に到達。昔からおとぎ話の一つとして聞かされてはいたが、姓名の義は全く無関心であった。ところが最近は事情が一変・・
1) 竹から生まれた「かぐや姫」は、孟宗竹ではないことははっきりしている。マタケかハチクが生みの親である。孟宗竹は17世紀か18世紀に伝来種であることから産みの親には不適当。
2) 口承伝来の「かぐや姫」と、日本最古の物語である「竹取物語」の内容において大差はないとしても、口伝とカナ文学クラスとでは少々内容の深みが異なる。
3) 産地と両親の謎ときは、かなり解明されている。物語の舞台は現奈良県広陵町が有力である。裏山の竹が輝いているのを発見し、割ってみると三寸ばかりの「女の子」が出てきた。子どもがいなかった讃岐造の老夫婦は育てることにした。
4) わずか3ヶ月で成人した女の子は、「なよたけ姫」と命名、絶世の美女の評判はたちまち都に伝わり、多くの求婚者が訪れるようになる。その中に当時の帝も含まれていた。
5) だが、20年余り養育した8月15日の深夜にお迎えの一行が「月の国」からやってきた。老夫婦とかぐや姫の悲しい別れは避けがたい事情があった。
6) 天の羽衣をきた「かぐや姫」は、薄絹を張った天蓋車に乗り、両親が待っている天上に飛び去っていった。
10.主な伝承や行事に連なる植物・・ #
信仰と行事と植物の三者は、ひとつの文化となって現代に受け継がれているが、しだいにいわれが薄れてきたような気がする。伝承文化には必ずその理由があるのです。
1. 節句と主な行事・・そこには必ず植物が依り代に・・
季節変動の認識は「節句」が重要な行事でした。宮廷では節会と呼ばれる宴会が度々開かれていたのを、江戸幕府は5つの「節句」を公式の行事として祝日にしました。
ア・年間の節句
1月7日 人 日・・七草がゆ・・一年間の無病息災を願って食べる風習
3月3日 上 巳・・桃の節句・・ひな祭り・自らの穢れをヒト形の紙に託して海や川に流していた行事が雛人形になったという。
5月5日 端 午・・菖 蒲・・魔除けの菖蒲と尚武(武道や軍事を重視)をかけて武者人形を飾る風習に・・
7月7日 七 夕・・笹 と 竹・・彦星と織姫の伝説・天の川に鶴が橋を架けて二人の出会いをホロー 裁縫の上達を短冊に託する祭り。
9月9日 重 陽・・菊 ・・奇数が重なる陽数の日として最高の縁起の良い日、菊の花びらを浮かべた菊酒を健康長寿を願って飲酒。
イ・他の主な行事
2月3日・「節分・ヒイラギと豆」、その翌日が「立春」で一年の始まり。月を追って地方の風習・行事が各地で催されてきました。
春の七草、さくらと花見、お盆、さといもと月見、冬至、クリスマスとツリーなど、行事につながる植物は、邪気を祓うもの、幸を招来するもの、健康や家内安全など、願いを託する植物の役割は大衆の心の支えでした。(いずれも旧暦が原点)
2. 年の初めは松竹梅から・・
松竹梅が慶事に用いられるようになったのは、約600年前の室町時代からのようである。植物分類の中の裸子植物からマツが、単子葉植物からタケが、双子葉植物からウメが、代表に選ばれたのはそれなりの理由があったのです・・
ア・門松の由来・・マツ選抜のわけ・・
日本の文化は「木の文化」と言われるように、正月の「門松」こそ出発点のような気がする。平安時代には門松の風習が定着していくが、古来から日本では神は柱や樹木に降臨すると思われてきた。門松は新年に神がきていただく目印であり、神の依代とする思いがある。
・松の忍耐強さ、頑丈さから末永い繁栄と剛気を願う
イ・タケのいわれは・・竹という字は竹の葉の形
タケの役割は、七夕のササやタケで象徴されるように神の依木であり、起工式の祭場の四隅にタケを使い聖域を示すなど、門松と同様の目的があったと考えられる。
・竹の無限の繁殖と邪気を祓う力から永遠の寿命と純心を願う。
・梅の忍耐力と結実のありさまから愛情と子孫繁栄を願う。
落語の題材から
・松の双葉はあやかりものよ 枯れて落ちても夫婦連れ ・・
・竹ならば割って見せたいわたしの心 さきへとどかぬふし(節)あわせ ・・
・しわのよるまであの梅の実は 味も変わらず酸(好)のまま ・・
(文責:田代 誠一)
【参考文献】 :植物と行事・湯浅浩史著 竹と日本人・上田弘一郎著 など