三通りの手法を使う植物は珍しい・・不思議な生活史
紅葉の時節が訪れる頃、食欲の秋・味覚の秋・豊年祭りなど、季節を楽しむ行事が次々と催されている。ここ帆柱山系でも少し色づいてきた木々の間に、ヤマノイモが冬眠に入る準備に取りかかっている。
方言の一つに「自然薯」がある。芋から薯に転じたとしても不思議ではない。栄養分は炭水化物が多くて、次いで蛋白質、カリウムであるが、里芋やジャガイモと比べるとやや劣る。
昔から「掘って食べて元もと」という口伝がある。重労働の掘取りはエネルギーを消費するので、当人が食して「+・-・0」というのですが。
1.「ヤマノイモ」って、不思議な植物 #
ヤマノイモの繁殖方法は3手法。1つは「上部の一部を地面に植える」、2つ目は「種を播くこと」、3つ目は「むかごを播くこと」です。
ここで不思議だなァーと思っていることは、果実(種子)がちゃんと結実するのに、なぜ「むかご」まで用意して子孫を増やそうとするのか..? 不思議ですね。他の植物は種子だけの場合が普通なのに、ヤマノイモはどうしてでしょうか?
ここで、ヤマノイモの生態について、少し詳しく調べてみましょう。先ずは分類体系から・・
◆被子植物・単子葉類・ヤマノイモ科・ヤマノイモ属・つる性の多年草・つるは右巻きに巻きつき登る・蒴果は下向きにつき扁平なまるい翼が3個ある
注-分類は単子葉であるが、双子葉的な特徴を備えた異端児的な単子葉類と言われている。
葉脈が網状脈であること、オリゴ糖をふくまないこと、2枚の子葉をもつこと、ツル性であること、などから特異な単子葉類である。
雌雄異株、葉は多くは対生(ヤマノイモとナガイモ以外は互生)、葉身はやや三角形の細長い卵形で、表面につやはなく先は尖る・落葉性。
◆注・・
1) ヤマノイモの休眠器官について、丹野憲昭博士の研究成果の中に、たいへん興味深いものがありその一部を紹介したい。
2) ヤマノイモ属は、休眠器官として種子・むかご・担根体(通称・いも)を持つが、むかごを備え持つ種は少ない。ナガイモ・ニガカシュウなど14種にむかごをつける。
3) ヤマノイモ属の分布域は、アフリカ・アジア・北海道の亜熱帯から亜寒帯まで、南北に分布。種子の休眠は、北に分布する種(ウチワドコロ・オニドコロなど)ほど休眠性は浅い。南に分布する種(カエデドコロ・ニガカシュウなど)ほど、逆によく眠る。
4) むかごは夏頃は小さいが、秋には肥大化し成熟すると、付け根の葉腋に離層が発達し落下する。翌春まで冬眠にはいるが、低温を経過しないと休眠は解除されない。樹木の冬休眠と同じである。
5) 地下器官の担根体は、北に分布している種ほど休眠性が深く、南の分布種は休眠が浅い。植物ホルモンの一種である「アブシジン酸」が休眠の誘導、維持に関与し、「ジベレリン」が休眠の解除に係わっていることの報告が多数あるのだが・・・。
6) しかし、ヤマノイモ属のむかごと地下器官の休眠は、「ジベレリン」の働きが誘導・維持に関与していることが示唆されている。本来は休眠の解除の働きを現すのに、眠りに誘い込むとは逆の方向性がみられる。 小さな白い花を多数つける、花びらはほとんど開かない。雄花の花穂は立ち上がり、雌花の 花穂は垂れ下がる。花は7月~8月。
芋は山芋・自然薯・自然生という。 むかごをつくる他の仲間はナガイモ・ニガガシュウ。
【ヤマノイモの根・担根体】
水草の中で最も親しまれている。宗教や神話をとおして文化的なつながり、また、園芸植物として深く係わっている。以下、植物の世界・伊藤元己著及び多田智満子著より要点抜粋。
ヤマノイモは生育に不適切な冬季には地上部は枯れて、栄養分は地下部の担根体とよばれるデンプン貯蔵器官に貯えられる。従って、食用部分は地下茎とか塊根とも呼んでいるが、「担根体」が生態的には正解。
ヤマノイモの成長は、普通4~5年生のものを収穫しているが、毎年成長した部分を積み重ねて太くなると思っている人が多いようだが、実態はそうではない。
ツル(茎)の部分は毎年秋季になると落葉し、ツルも枯れてしまう。落葉の間は冬眠みたいにして春季を待つ。春先になると古い株の先端に、新芽を延ばしツル(茎)の成長が始まる。
ツルは辺り構わず地物であればなんでも覆い被るようにして、光合成の効率性を高めるために日当たりのよい場所を確保するため努力している。
新しいイモは、前年に貯め込んだ澱粉を養分にして、前年より大きめの担根体に成長。これを3年目、4年目と繰り返しながら、食用になる頃まで大きくなるのがヤマノイモの成長過程。
ヤマノイモの皮を剥ぐときに鉄製の包丁を使うと黒っぽくなるので禁物。ステンレス製かガラス片を使うのが料理上手。栽培品種は「ナガイモ」だが、いろんな形のイモに成長。
【むかご・珠芽】
地上部の葉腋に栄養分を貯蔵したむかごをつける。むかごは葉腋に1個ずつ付き(対生の葉腋に対の形で2個つく)、直径1~2㎝になる。食べられるが、ヤマノイモにとっては重要な繁殖のための散布体である。
むかごは元来、茎の短縮した芽であり、蔓の先端が垂れ下がると、腋芽がふくれてむかごになる。そして茎の先端が下垂しないとむかごは出来ないといわれている。また、地上をはっている茎にもできません。
【ヤマノイモの果実・種子】
種子は自然交配によって結実したものであるが、むかごは母親と同じ遺伝子をもつクローンのはずです。セイヨウタンポポの無融合生殖に似ている。
ノビル・ムカゴトラノオなどのように、種子をつくるのをやめて、花がむかご化する現象を「ビビパリィ・・胎生」と呼んでいるが、ヤマノイモのむかごも似ている。
ヤマノイモの果実は蒴果で、3枚の翼をもつのが特徴。薄い膜質の翼の間に種子を挟んでいるが、成熟すると翼が大きく裂けて、種子が飛び出す仕組みになっている。
【縄文人とヤマノイモ】
身近の縄文遺跡は、槻田・芦屋・脇田・水巻・新延などの場所で発掘調査が進んでいる。その内容から縄文人の食生活の一部を推測することができる。
森林の樹木は彼らの食糧源でもあり、三内丸山遺跡や八甲田山麓の遺跡では、クリが主食であって、他の木の実も重要な資源であったことは明らかです。北九州地帯は暖温帯の分布域にあって、一般的に実のなる木は豊富であったのではと考えられる。
さて、どんな樹種の実が利用されていたかを、現代の生態系から覗いて見ると、クリ・ナシ・ウメ・モモ・マテバシイ・ザクロ・ツバキ・イチョウ・など、種類は多い。チャンチンの実が発掘された記録もある。
魚類や肉類(イノシシ・シカ・タヌキなど)は、今以上に豊富であったと推定。これらの材料から縄文人のメニューは、かなりの栄養価で、楽しい食卓を囲んでいたのではと・・・?
そこでヤマノイモの食べ方として、今の日本人は生食が主体的であるが、調味料がない頃の縄文人はどんな献立を作ったのだろうか..。
シイの実やドングリの実は、時期的には主食として食べていたと思われるが、この粉を材料にした献立では、つなぎ用にヤマノイモのすり実を加えたのではと..? コネ混ぜることで固めることが可能であり、これを焼けた石の上にのせて「縄文クッキー」を作ったのではと推測。
注:本件資料は、NPO帆柱自然公園愛護会の会員研修用にまとめたものです。お互いが研鑽しながら自然環境の大切さに取り組んでいます。今回の資料作成にあたり、下記の引用・参考文献を有効に活用させていただきました。
【引用・参考引用文献】
・植物の世界 朝日新聞社刊/堀田 満著ほか
・植物の知恵 大学教育出版刊/山村庄司亮ほか著
・植物観察入門 培風館刊/原 襄他著
・ほんとうの植物観察 地人書館刊/岡村はた他著
・野に咲く花 山と渓谷社刊/林 弥栄監修
・花の科学 研成社刊/箱崎美義著 など