奈良・平安の時代からいろんな植物の模様が今に伝わっています
春の芽吹きの中でも「ツクシ」は大勢の人の心をなごませる。散策の途中で土筆との出会いは楽しいものである。さて問題は「ツクシ誰の子、スギナの子」と歌われているが、本当に親子関係にあるのでしょうか・・?
昔から使用してきた風呂敷の中に唐草模様のものがある。最近はほとんど使う機会もなく、引き出しの隅にしまい込まれている。町内でも唐草模様の手荷物を見ることはまずない。
それでも記憶に残る唐草模様は、時代劇の中に花嫁の婚礼道中のシーンがあった。花嫁の持参する家具や調度品に大型の唐草模様の風呂敷が掛けられていた。担いだ荷物の行列が長いほど金持ちの婚礼であったと思い出される。鞍馬天狗や旗本退屈男のシーンがなつかしい。
現代では婚礼家具を派手に飾り立てる地域もあると聞いているが、運搬の手段はトラック運送にかわった。唐草模様の縁起物でカバーをしている車列の様子を見ることがある。
その他に、獅子舞の布は「唐草模様」が多い。また目出度い祝いごとの引き出物に唐草模様の「タオルや風呂敷」を贈る風習は今も伝承されている。その他に手作りの吉祥模様の「刺し子風呂敷」など生活に密着した作品が残っている。
そこで、なぜ唐草模様が吉祥の印しに使われるようになったのか・・。その歴史はいつごろからか・・。他にどんな植物が模様に使われてきたか、など唐草の伝承はかなり古い時代に遡らなればならない。
1.私たちの身の回りで「唐」の名の付く品・あれこれ #
唐茄子・唐辛子・唐傘(からかさ)などは舶来品として生活の場では貴重品であった。ほかに平安時代以降、大和絵と比較対象にするため唐絵なる呼称が生まれ、また、唐織は中国で製織されて日本へ渡来した織物の総称であり、唐金とは青銅のこと、唐紙とは遣唐船によって唐土から渡来した紙のことであるように・・・。
この頃の「唐」の名称は、日本産のものとの区別を現す上で「舶来品」としての格付けを明確化したもので、今も昔も「舶来品志向」は変わらないようである。
奈良時代の国産和紙は唐紙に比べて品質が劣っていたが、平安中期には製紙技術もすすみ、「源氏物語」の紙は唐紙はもろいといい、国産紙を高く評価している。
中でも「唐草模様」の歴史は以外に古く、この模様の起源は古代エジプトにあるとされている。
その後、ギリシャの唐草にアカンサスの要素が取り入れられ、これがローマへと受け継がれていった。こうした西方系の唐草がシルクロードを通って中国へたどり着く。
さまざまな文化圏を通過することで、唐草の装飾模様に花文やブドウ・ザクロなどの果実が加わり、多彩な色どりを加えていった。
日本に唐草が伝来したのは5世紀の古墳時代末期で、その後主として仏教美術の装飾模様として愛用された。平安時代にすでにこの名称が、使われていたことが知られている。
唐草模様のモチーフになった植物は、ウコギ科のキヅタのことである。似通ったツタはブドウ科の植物である。前者のことを別名・フユヅタといい、後者をナツヅタという。
2.唐草模様は縁起物・・油単とは・・ #
ウコギ科のキヅタを図案化した唐草模様は、エジプトやギリシャを発祥源とするものであり、当時からキヅタは広範囲の分布域にあった植物であることが証明される。
キヅタ(別名フユヅタ)は、繁殖力は旺盛で、成長が早くて茎を何処までも伸ばし、生命力の強さを感じると共に、長寿や延命・子孫繁栄の象徴とされ、又からみつく、巻き取る等により吉祥紋とされ、キヅタを図案化したものが唐草模様と呼ばれている。蔦花文様・蔦蔓文様・アラベスク(アラブ風の)とも呼ばれている。
複数の曲線や渦巻き模様を組み合わせることで、さまざまな種類の唐草模様が存在するが、建築物のあちこちに描かれてきた分野のものが、遺跡の発掘調査で発見されている。
例えば、紀元前5世紀、唐草模様は繁栄を示す模様とされ、アラブ諸国ではモスクの装飾としてよく用いられている。古代ギリシャのパルテノン神殿の遺跡に残る唐草模様は最も古いのではないだろうか。
ア.日本に伝来したキヅタの唐草模様は、日本文化と融合し他の数多くの植物の模様を残している。中でもツタ以外のつる植物をモチーフにした模様に、「忍冬唐草」・「葡萄唐草」・「鉄線唐草」「菊唐草」・「牡丹唐草」・「桐唐草」などがある。忍冬唐草は7世紀前期の宇佐八幡宮の境内から発掘された軒平瓦の文様から知ることができる。
イ.日本に伝来した頃は貴族階級の舶来志向の「植物模様」であったが、平安時代にかけて技術の進歩と共に一般大衆の生活圏にも広がり、新たな植物文様が描き出されるようになった。
ウ.今に残る日本の伝統文様として図案化された植物は、松・ 竹・梅・桜・藤・柳・秋の七草・菊・楓(紅葉)などがある。また、動物文様の中にも吉祥紋がある。鶴・亀は長寿のシンボルとして祝儀には欠かせない文様。千鳥・雁・雀・蝶・蜻蛉・百足などもあり、トンボは「勝虫・勝軍虫」ともいい、百足は軍神毘沙門天の象徴として武士階級に好まれた文様。
★油単とは・・・国語辞典によると、たんす・長持ちなどの覆いにしたり、敷物にしたりする油びきの紙や布のこと。
昔というより今でも婚礼家具の行列が長距離を移動するさいに「防雨用」シートは欠かせないものであり、これを油単といった。特に桐タンスの保護のためには油単は必需品である。
獅子舞の獅子頭に付随するかぶり物も油単という。このような油単の模様は、昔から「唐草模様」が吉祥紋として生活の中に定着していた。だが、現代風の世相の中では唐草以外の吉祥紋がいろいろと考案され、植物紋・動物紋が日本文化と融合している。
みなさん方のタンスや引き出しの中に、吉祥紋入りの風呂敷やタオルが眠ってはいませんか。
(文責:田代 誠一)
【参考資料】
華麗なる植物文様の世界・山川出版社・宮下佐江子著
日本の文様9唐草・光琳社出版KK・西村兵部 他著 他