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植 物 談 義    第32話

 「源氏物語の作者・紫式部とムラサキシキブに係わる談義あれこれ」  

昔からマツほど生活の場に登場する樹種はすくない

 

  「源氏物語」という著作が記録に残っているのは、「紫式部日記」の寛弘5年(1008年)11月1日の日記に記されるのが初めてのことです。全巻54帖を書き始めたときと、完結するまでの経過は明らかでないのですが、日記から2008年はちょうど千年の区切りの年とし、「千年祭」が盛大に催されたところです。

 

 当時の社会情勢は「一条天皇・藤原一門の栄華・摂関政治の成熟・日宋貿易・荘園の乱立・武士の興起・僧兵の闘争・疫病の流行・紫宸殿の右近の橘/959・左近の桜/964植う」などの他、文学の面では枕草子(清少納言)・和泉式部日記・が発表されています。

 

 平安時代後期は、平家の台頭から滅亡(1185年)・鎌倉幕府開く(1192年)など世情は不穏な動きの中にあったのですが、「源氏物語」は平安時代の真ただ中の男女観の作品であり、しかも、上流階級の貴族の生活感あふれる著作であることに興味が引き立てられます。 挿絵の作者は不明であるものの、細やかで優れた彩色などから、当時の衣服や住居・風情や様式などを垣間見る事ができます。また、貴族館の建築手法は「寝殿造り」が主流となり、挿絵の中にたびたび登場します。

 


 
   
 1.作者・紫式部をひもとく
 

 

 

 

 

 

 

 紫式部が源氏物語を書き始めたところが「石山寺」です。創作の祈願に訪れ、一週間ほど滞在された「参籠室」で「須磨・明石」の2帖を書き始めたといわれています。石山寺は琵琶湖から流れ出る瀬田川のほとりに「聖武天皇・724〜749」の勅願により748年に開基されたと伝えられており、由緒ある寺院として年中参拝者や観光客で賑わっています。

 

(参考:藤原広嗣の乱・740:東大寺大仏開眼供養・752:写真の南大門は源頼朝の寄進により創建・1190)

 

1) 紫式部は式部大丞を勤める父・藤原為時の姓と職から「藤式部」と呼ばれていた。それが紫式部に替わった経緯は諸説があるものの、定説は明らかでない。

 

2) 清少納言は父・清原元輔と少納言の役職に由来していると伝えられている。

 

3) 1001年・紫式部の夫・藤原宜孝亡くなる。源氏物語は1010年頃に成立。著作は読み切り短編物語として発刊。「更級日記」に熱狂的なフアンの反応が書き記されている。

 

4) 源氏物語の作者である紫式部の評判が高まり、やがて一条天皇の中宮彰子のもとに出仕し、時の権力者 藤原道長の掌握下で、上流階級の王朝文化としての作品に様変わりしていくのです。

 

5) 中宮の出産は藤原道長の外戚としての権力を高め、摂関政治の頂点を極めることになる。そのような情勢の下で紫式部を総監督にして、それぞれの巻にふさわしい書き手に依頼して書き上げたのが源氏物語である。

 
 
   
 2.ムラサキシキブに係わる談義

 

 

 源氏物語の作者・紫式部と植物名のムラサキシキブは、どちらが先に名付けられたのか・・そこで、少しばかり過去を振り返えってみたいと思う。
 
 紫式部の謂われは前に述べたように「藤式部から紫式部」に変更。植物名は実が沢山つくことを「敷実・重実」と表現していたことから「紫シキミ」と呼んでいたのが訛ったという説(益村聖著・九州の花図鑑より)もある。率直に解釈すると「源氏物語」とは無関係である。
 
また、他の説は「女流作家で才媛の紫式部」にあやかって付けたという説。などから推察すると、源氏物語より後に「ムラサキシキブ」は命名されたようである。
 
1) そこで学名はいつ頃、誰によって名付けられたかを遡ることにした。長崎のオランダ出島に1775年から1年間勤務したカール・ツンベルクは、ムラサキシキブを「日本の美しい果実」だとして「Callicarpa japonica Thunb」として学会に発表。世間に公表されたのはこの時が最初といえる。
 
2) ヤブムラサキの学名は「Callicarpa mollis Sieb.et Zucc」。シーボルトは1823〜1829・1859〜1862の2回、商館勤務のため着任。正式名称には「・・・シキブ」がつかない。

 

 ★カール・ツンベルクの活躍
 出島の三学者の一人に数えられ、日本植物学の基礎に貢献。1743年スウェーデンにて誕生、リンネに師事して植物学、医学を修得。1771年オランダ東インド会社に入社、1775年出島のオランダ商館付医師として赴任。1776年4月、商館長に従事して江戸参府、10代将軍徳川家治に謁見。1年間の在日中に約800種の植物標本を採集し、現在もウプサラ大学に保存されている。著書「日本植物誌」「江戸参府随行記」等がある。

 
3) 日本最初の植物図鑑といわれる「本草図譜・全96巻」は、江戸期の本草学者・岩崎灌園(1786〜1842)によるものであるが、この中にムラサキシキブの図柄が載っている。
 
4) 結局のところ植物名はいつ頃名付けられたのか判らないままです。今後の課題です。
  学名の「mollis」とは「やわらかい」の意味。
ムラサキシキブ ヤブムラサキ
 
   
  3.植物分類・クマツヅラ科・ムラサキシキブ属に係わる談義
 
 帆柱山系にはムラサキシキブ属の仲間で「ムラサキシキブとヤブムラサキ」の2種が自生している。他のオオムラサキシキブ・コムラサキ・トサムラサキなどは観察できない。
 
ムラサキシキブは日本古来からの植物であり、北海道〜九州〜沖縄までの国内に11種が分布。従って、源氏物語の創作活動の頃には全国各地に自生していたことになる。
 
ムラサキシキブ属は熱帯・亜熱帯を中心に約100種を産する。南日本の伊豆諸島・九州・四国・沖縄・台湾には葉と花序の大きい変種「オオムラサキシキブ」がある。
 
1) 生育地は温帯から暖帯に広く分布し、向陽の適潤地の林内、林縁などを好む。落葉低木で樹皮は灰褐色。皮目は楕円形でやや多い。葉は単葉で対生・葉身は10pほど。
 
2) 開花の時期は6〜7月頃、葉腋から集散花序を出し、5_程度の鐘状の淡紅紫色の花をつける。液果状の核果は秋に熟して紫色となり、球形で直径3_ほど。
 
3) クマツヅラ科には意外な仲間を包含している。バーベナ・ランタナなどの園芸植物やダンギク・ハエドクソウ・ハマゴウ・クサギなどの草本の他に有用材のチークノキも含む。
 
4) ムラサキシキブの用途は幹が強靱なため道具の柄、杖、箸材などに適しており、昔は髄は灯心に利用。果実は鳥が好んで食し、冬場でも枝上に残って美しく、庭園木とされる。
 
5) ムラサキシキブとヤブムラサキとの区別点・・
 
  葉・・基部は狭いくさび形・葉縁は細鋸歯・・基部は円形・葉縁に細鋸歯
  毛・・枝や葉、萼はほぼ無毛      ・・枝や葉の裏面に密生、表に微毛密生
  実・・淡紅紫の多数の果実がつく    ・・実は少ないが色は鮮やか
  萼・・実は萼に包まれない       ・・下半分は萼に包まれる
 
6) 園芸店で見かけるムラサキシキブは、コムラサキが多いと言われる。見分けの特異点は、葉腋の少し上から花序が出ることと、粗鋸歯が上半部だけにあり、両面とも無毛である。
 
7) 園芸品種で白実をつけたもをシロシキブと呼んでいる。
 
 
 (文責:田代 誠一)

 

 
   
   

 注:今回の資料はNPO帆柱自然公園愛護会の会員研修用として書きとめた内容のものです。資料作成にあたり下記の引用・参考文献を有効に活用させていただきました。

 

 【引用参考文献】

 ・ 新源氏物語  田辺聖子著/新潮文庫刊
 ・ 源氏物語  円地文子著/世界文化社刊
 ・ 絵本源氏物語石山版
 ・ 百寺巡礼第4巻  五木寛之著/講談社刊
 ・ 世界の文学「源氏物語」  三田村雅子編集/週刊朝日百科
 ・ 九州の花図鑑  益村 聖著/海鳥社刊
 ・ 原色日本林業樹木図鑑  倉田 悟著/KK地球社刊
 ・ 樹に咲く花第3巻  高橋秀男監修/山と渓谷社刊
 ・ ほんとうの植物観察  室井 綽著/地人書館刊


 
   
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